40代からの空手道 極真空手の巻 40代からの空手道 〜極真空手の巻〜 キョクシンカラテ  
 
 ウィリー・ウィリアムス氏のご冥福をお祈り申し上げます。


2019年6月15日

ウィリー・ウィリアムス氏が6月7日に米国で亡くなっていたことを、格闘技の海外メディアが報じました。死因はうっ血性心不全で、享年67歳。

”極真レジェンド”の一人がまたお亡くなりになりました。
大山倍達総裁、大山茂氏、石橋雅史氏、安田英治氏、芦原英幸氏、真樹日佐夫氏、佐藤俊和氏、岸信行氏、廣重毅氏、黒澤浩樹氏、ジョン・ブルミン氏、ウィリアム・オリバー氏、アンディ・フグ氏・・・

ウィリー・ウィリアムス氏は、1976年公開の映画「地上最強のカラテ PART2」でヒグマと戦い、以降”熊殺し”と異名をとり、1980年に「格闘技世界一決定戦」としてプロレスラーのアントニオ猪木氏と対戦し、話題になりました。
ウィリー・ウィリアムス氏は、極真ブームを作った正に立役者の一人です。

ウィリー・ウィリアムス

実は、私が「極真空手」を知り、興味を持ったのがこの「ウィリー・ウイリアムスvsアントニオ・猪木」でした。詳しくは下記の記事をご参照下さい。

心に残る名勝負 番外編 ウィリー・ウイリアムスvsアントニオ・猪木

当時の私は小学生で大のプロレスファン。
しかもアントニオ猪木ファンだったので、完全に「プロレス側」でした。
プロレス側から見た熊殺し・ウィリーは、それはもうもの凄く恐かったです。
『えー!?猪木勝てるのかよ・・・無理だろう・・・殺されるんじゃないか・・・』
そんな心境で、「ウィリーvs猪木」を観ていたのを、今でもはっきりと覚えています。

「ウィリーvs猪木」は、その後に自分が極真空手をするようになったきっかけになったのは間違いありません。
なにしろ、「ウィリーvs猪木」を観た直後、極真会館の道場に見学に行ったくらいだからです。

そういう意味で、ウィリー・ウィリアムス氏の存在は、私にとって大きなインパクトとなった、ある意味恩人と言っていいかもしれません。

格闘技引退後、晩年は木彫り職人をしていたとか。
現役時代は荒々しいイメージばかりがピックアップされていましたが、晩年は穏やかな生活を送られていたのでしょうか。

ウィリー・ウィリアムス氏のご冥福をお祈り申し上げます。



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