ウィリー・ウイリアムスvsアントニオ・猪木
私が空手、極真に興味を持つようになったきっかけは、1980年2月27日に「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて行われた、「ウィリー・ウイリアムスvsアントニオ・猪木」でした。
当時学生だった私は、ウィリーのオーラの凄さにただただ圧倒され、さらに大山茂師範、泰彦師範、添野師範ら極真セコンド陣の異様な迫力に「極真空手は怖い」と心底思いました。何しろこの日、極真門下生150人が不測の事態に備えて乗り込んでいたそうです。つまり何かあったら、なだれ込んで新日本プロレス側と・・・
当時の極真は本当に危険でした。
結果は、4R1分24秒・引き分け。
この一戦は厳密に言えば「プロレス」ですから結果云々は別にして、両陣営の緊張感は凄まじいものがあり、それはテレビの画面を通してでもビンビン伝わってきました。
この一戦で猪木氏は肋骨にヒビが入ったそうですが、それはウィリーの蹴りによるものとなっていますが、実際は、最後場外で腕ひしぎ逆十字を極めた猪木氏の脇腹に、ある極真セコンドが蹴りを入れたのが真相と言われています。
当時極真では「門下生の他流試合を禁止」という考えがあり、この一戦後ウィリーは破門されました。その後破門を解かれ極真会館に復帰したウィリーは、1984年(昭和59年)1月の第3回全世界選手権に出場しています。
私にとって「ウィリーvs猪木」は、その後の人生にかなり大きなインパクトを与えました。
あのときに「極真」という二文字が心に深く刻み込まれました。
実際その直後、極真会館の道場に見学に行ったくらいです。
(でも、組手のあまりの壮絶さに恐怖を感じて入門せず帰りましたが・・・)
心に残る名勝負・番外編でした。
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