40代からの空手道 極真空手の巻
 
 
 


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   華麗な空手の実現

2017年6月9日

大山総裁は、1987年1月4日の本部冬季合宿の講話で次のように語っています。

『今、日本のカラテはどうなっているか。叩き比べ、根性比べの大会だ。お前も叩け、オレも叩く、どちらが我慢できるか、という試合だ。これはカラテではない。キックだ。君たちはキックの練習にきたわけではないだろう。万一そうならカラテの道場へ来なくていい。キックの道場へ行け。サンドバッグ叩いて蹴って、グローブはめて殴り合いやって倒れなかったら頭突きやって・・・。

キックの道場とカラテの道場の違うところは、カラテは、まず精神を鍛える。そして、カラテは華麗でなくてはいけない。地に則った基本、理にかなった型、華麗な組手、これがカラテだ。カラテの命は組手である。組手は華麗でなくてはいけない。相手の突き、蹴りは全部受け流す、自分の突き、蹴りは間違いなく標的に当てる。これが華麗なる組手であり、カラテの命だ。カラテは君子の武道である。それゆえ、きれいに華麗に勝たなければいけない』



世間では「極真空手=叩き合い」「極真空手=根性比べ」という固定観念が強いかもしれませんが、それは明らかに古い。

私は大山総裁が言う「華麗な空手」を実現したいと思っています。
華麗な空手とは、「相手の突き、蹴りは全部受け流す、自分の突き、蹴りは間違いなく標的に当てる空手」と大山総裁は語っています。

特に壮年になって、叩き合いや根性比べのような空手をするのは「百害あって一利なし」です。
もちろんレベルアップの過程で必要な面があります。
特に初級・中級者の頃は必要で、精神力強化、根性の養成には効果がありますし、技術的にもそこを避けて通れない現実があります。
私もそういう空手を長年続けてきました。
しかし、極真空手を始めて10年以上経ち、年齢もアラフィフになり、もうそういう空手は自分には必要ないと思うようになりました。
今更根性比べをしても、更なる進歩はありません。
そこで終わったら武術をしている意義がないとも思っています。

私は「相手の攻撃を一切もらわずに自分の攻撃を確実に当てる空手」を志向しています。
ただ理想と現実は大きく異なり、なかなか上手くはいきません。
特に相手が強ければ強い程、当然理想と現実は乖離します。
しかし、それでも華麗な空手を追及したいと強く思っています。
いつかそんな練達の組手ができるようになりたいものです。


 


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