『心を極める、道を極めた心という意味で「極心」という名前を考え、道場生たちに図ったところ、暴力団の関係に似た名称があるという者がいた。道を極めるのが「極道」だから、言葉というものは不思議であるが、それではと考えたのが「極真」の名である。
心を極めるとは、すなわち真実を極める、真実の道を極めるということである。武道を通じて真実を極めることを決意した集団とすれば、自分の念願に叶うと思った。これには門弟たちも全員賛成だった。
ただ、私には「ジス・イズ・カラテ」という英文書も出したように、自分のカラテについては、「これが、ほんとうのカラテだ」という気持ちもあった。つまり、自分のカラテこそ真のカラテであって、これがカラテそのものになっていくにちがいないと確信していた。
したがって、極真流という言葉は一度も使ったことがない』
大山倍達(「極真の精神」より)
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