『カラテは近ごろはやりのエアロビクス・ダンスとは違う。
一撃必殺こそがカラテである。
一発叩いたら必ず倒れなければカラテではない。
選手権大会に出て、何度叩いても相手が倒れない、倒れないでかかってくる。
これはカラテか?
叩けばまだ上等だ。
押すんだ、叩かずに。
押しながら足で蹴ることばかり念頭においている。
手は叩くものではなく押すものだと思っている。
手は押すもの、足は蹴るもの、これしか考えていない。
カラテではない。
キックだよ、キックのやり方だ。
カラテでなく空足だ。
カラテは空手と書く。
だとするなら、足は誘いであり、止めは手で、拳で刺さなければいけない。
足で相手を誘って自分のペースに入れて、拳で叩いて倒す。
これがカラテである。
にもかかわらず、足ばかりで、足で蹴ることが攻撃であり、同時に防御だと思っている。
防御すなわち攻撃ではなしに、攻撃すなわち防御だと理解している。
そういう考え方で稽古をやり、試合をやる。
これはカラテに対する正しい考え方ではない。
相手のどんな突き、蹴りでも全部受け流す、そして、自分の突き、蹴りは必ず相手を倒す。
拳で止めを刺す。
これが本当のカラテです。
手で押す、足で蹴る、これが本当のカラテだと思っているのなら、それは間違いである。
カラテに対する錯覚であり、敢えて言うならばカラテの真髄を冒涜するものである。』
(1986年8月5日 極真会館本部夏季合宿講話より) |